悪いのは、一体誰なのか。
 死ぬべきなのは、一体誰なのか。

 頑張ろうと決めたばかりだというのに、アムリエルはその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 ヒュン、と音を立てて夜の空を飛んだ矢は、亀の表皮に弾かれ地面に転がった。
「かったーい」
 難しい顔をして黙り込んだルゥクの横で、気楽な調子でエマが首をかしげる。
 そんな二人の近くまで後退して来た雲美も、鉄扇を叩きつけた際に痛めたらしい腕をさすりながら厳しい表情をしている。
「これでエマの刀やクリスの剣まで通用しなかったらお手上げですね……」
「まだ魔法は試していないし、それにアシュレーの武器は僕の弓より貫通し易いはずだ」
 雲美の呟きにルゥクがちらりとアシュレーに視線を送ると、当のアシュレーは真っ青な顔をしてがくがくと足を震わせていた。
 この場から逃げ出さないのが不思議なくらいだが、彼にも彼なりのプライドがあるのだろう。
 前線ではクリスタルが独り、亀を相手に剣を振るっている。
「――なんで」
 ポツリ、と漏らした声は誰の耳にも届かなかったらしい。
 アムリエルは再び走り出そうとする雲美の袖を引くと、腹の底から叫んだ。
「なんであの子が攻撃されなくちゃいけないの!」
 雲美が困ったように動きを止めるのが感じられる。アムリエルはきつく目を閉じて、目の前の光景を見ないようにしていた。
 あるいは、目を瞑ったのは奥から湧き出てくる涙をせき止める為だったのかもしれない。
「だって悪いのはあの村長でしょ!? あの子は仲間が殺されたから……だから復讐しに来たんだ!」
 収まったはずの吐き気がよみがえってきた。
 喉がしびれて、ツンと不快な臭いが喉元まできているような気がする。
 頭の中がぐるぐる回って訳が分からないし、肺が苦しくてしょうがない。
「あの子は悪くない…!! 死ぬべきなのは……」
 腹から胃液以外のモノがフツフツとこみ上げてくる。
 死ヌベキナノハ。
「死ぬべきなのは……!!!」

 がつん、と後頭部を殴られた。
「! 何すんのよ!」
 じんじん痛む頭を押さえながら前を向くと、そこには険しい顔のルゥクが立っていた。
「僕らが好きでアイツを傷つけているとでも思っているのか」
「誰もそんなこと…!」
 言ってないでしょ、と続けるはずだった台詞は、発せられずに喉の奥に帰っていった。
 家を潰され中から出てきた男が、家族を逃がそうとして亀の足に蹴飛ばされて動かなくなったのが見えた。
「あの亀が暴れることによって被害を受けるのは、村長以外の大勢だ」
 ルゥクの言葉が小さく響く。
「誰かを襲うからには排除されなくてはならない」
 視界が急に下がった。無意識のうちに座り込んでしまったらしい。
 たとえ原因が、人間にあったとしても――
 排除されるのは、魔物の方なのだ。
「……ルゥクなんて嫌い」
 うなだれたままアムリエルは言った。
 悲しくて苦しくて腹が立って、そして笑いがこみ上げてきた。
 やはり世界なんてそんなものか。
 くだらない。
 傍らに立った人影は何も言わずにそのまま立っていたが、やがてゆっくりと歩き出した。

「……少なくとも」
 去り際に、独り言のような声が降ってきた。
「僕は、その覚悟でいる」

 数分後、ピンクの亀が深紅にその姿を変えて、月明かりが照らす夜の中に倒れた。



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