アムリエルは、目の前に広がる光景によって、軽い既視感に襲われていた。
(昨日と同じだ……)
 鼓動が速まり、不安で胸が押しつぶされそうになった。それは横にいるアシュレーも同じ様で、唯でさえ白いその顔が今は蒼白になっていた。
 目の前には、昨日と同じく、夥しい数の魔物が居たのだ。
 
 一体、何がどうしてこうなったのだろうと、混乱している頭で考えてはみるものの皆目見当もつかなかった。
 ほんの数分前に、パーティのメンバー全員で、今回の依頼主である一風(?)変わった村長の屋敷を訪れた。そして、リーダーであるクリスタルが、家の門に取り付けられている獅子の飾り(この辺は普通だ)を叩いて、中にいるメイドらしき人と扉越しに、依頼を受けるためにやって来たので、それについて詳しい説明をして貰いたい、という旨の事を話した。そういった、二、三のやりとりの後に、漸く扉を開けて出てきたメイドは、彼等を屋敷には入れずに、「此方へ、旦那様がお待ちです」と、一行を屋敷の裏手の庭へ誘った。
 少なくとも、対応の不自然さを除いたとしても、此処までは変なことはなかった。
 この後からが、問題だったのだ。
 「此方で、暫くお待ち下さい」と、案内された庭は南に面しており、普段の日当たりは良さそうである。
 庭も広く、軽く見積もっても三十メートル四方は有るだろうかと言う物だった。然し、その景観は、噴水や草木で飾り立てた華美な物ではなく、大小様々な、ごつごつとした奇妙な形の岩が散らばったり密集したりしてあちこちに並び、地面は奇妙な起伏を繰り返し、芝草の一本も生えてはおらず、所々に枯れ果て萎びた木や草が山からの風に力無く吹かれているのが見えるだけであった。これらは殺伐とした荒野を連想させ、どう考えても(悪趣味な家ではあるが)この屋敷とはまるであってはいなかった。まるで、禿げ山だというアジタート山脈の一部を切り取って持ってきたような、そんな印象を受けた。
(色々、変わっているなぁ)
 此処に住んでいる村長とやらはどんな人なのだろうと、呑気にあれこれ思っていたのも束の間、
「賞金稼ぎの諸君、我らのためによくぞこの辺境の地に参られた」
 と、不意に上から声が掛かった。声の出所を探し首を巡らしていると、二階のバルコニーに二人の人影を認めた。一人は、一目でこの屋敷の主であろうと直ぐに予想がつく身なりをした男、もう一人は先程のメイドだった。何時の間に、屋敷内に戻ったのだろうか。
「お疲れのところを悪いが、今回依頼を受けて貰うに当たって軽いテストをするが宜しいか?」
 口調は訊ねてはいるが、纏う雰囲気は拒否することを許してはいなかった。
「……テスト?」
 ルゥクが、奇妙に思ったのだろう、そう訊き返した。
「そうだ。何、そんなに気張ることはない、少しでも腕に覚えのある者ならば簡単な物だ」
 そう言ってから、少し奥に控えていたメイドを促した。彼女は、バルコニーの手摺まで来るとエプロンのポケットから何やら小さな笛のような物を取り出し、それを吹いた。微かな音と同時に岩陰から姿を現した物は、昨日、馬車を襲ったのと同じゴブリンと、狼に似た魔物であった。
「なっ!?」
 突然のことに、一瞬思考が停止した。そして、
(――これが、テストだって?)
 冷や汗が、どっと吹き出るのを感じた。

 
 アムリエルとアシュレーには、得物を構える余裕さえ無かった。唯呆然と目の前に広がる光景を、信じられないと言う心地で見ていたので、魔物達がゆっくりと間合いを詰めてくるのを止め、何を合図にしたのか一斉に飛びかかって来ても側坐に対応できなかった。
 ひゅっと風を切る音がした、「えっ」と思ってみると、何か重い物が地に落ちる音がする。
「何ぼーっと、つったっているんだ、この莫迦っ」
 と、二本目の矢を番えながら、ルゥクはものすごい剣幕で怒っていた。すぐさま、二本目を放つ、そしてそれも間近に迫っていた魔物を射抜いた。急所に当たったのだろう、痙攣していたが、直ぐに動かなくなった。
「なるべく高い岩に上れ、奴等も其処までは追ってこれないはずだ」
 向かってきた三体目を、素早く鞘から抜いた短刀でもって切り捨てながら、ルゥクはそう言った。そう言われても、混乱をきたした頭でそれを理解するのには通常の何倍もの時間が掛かった。漸く考えが及んだときには、ルゥクに腕を引かれ走っていた。ふと、後ろを振り返るとアシュレーがクリスタルに背を押されて走っているのが見えた。魔物は、その直ぐ後ろに迫っている。狼型の魔物が数匹、彼等に向かって躍りかかった。「後ろっ」と、叫ぼうとしたが声にならなかった。アムリエルに知らされる迄もなくそれを承知していたのであろう、クリスタルは後ろを振り向き、その勢いであっという間に三匹を薙払った。然し、一拍遅れて来たものはやはり仕留めきれなかった。
 アムリエルは、何も叫べなかった。叫んだところで間に合う距離ではなかったが。
 反射的に目を閉じる。この先の光景を見たくはなかった。
 微かに、肉に何かが刺さる音が耳に届き、断末魔の悲鳴が聞こえたが、それは明らかに人間の物とは異なっていた。目を開けると、先程の獣が目に細長い物を突き刺され地面にどうと音を立てて落ちたところだった。目に突き刺さっていた物は、素早く駆け寄ってきた雲美によって潰れた獣の目と一緒に、少々乱暴に抜き取られた。それに動揺することなく彼女は直ぐに体勢を立て直し、すぐ傍を走っていた獣を、先程魔物の目を射抜いた扇で切り裂き、別の一匹に当て身をくらわせ、その反動を利用して後ろに迫ってきた一体の顔面を蹴り上げた。一瞬の間の出来事だった。
 それに感心している間もなく、ルゥクの「この岩に登れ」と言う声が聞こえてきた。
「登れ」と言われても、手を掛けられそうな所がその岩には無かった。ルゥクに、手を貸して貰おう思い、振り向いたが、彼は追い付いて来た魔物と斬り結んでいた。この事に気を取られていたため、後ろに居る物だけだと思っていた魔物が、すぐ横から躍りかかって来た事にぎりぎりまで気付けなかった。
「――」
 その事に逸速く気がついたルゥクが何事か叫んだ気がしたが、それは余りにも突然の出来事に頭と身体が付いていくことが出来ず、あらゆる音が遠退いたアムリエルには聞き取ることが出来なかった。
 目に映る世界の全てが、不自然な位にゆっくりになり、目の前に迫っている魔物のあらゆる動きが手に取るように理解出来た。然し、身体は動こうとはしない。魔物の手に握られているこん棒が、高々と振り上げられ、己に向かって振り下ろされるのを、何も出来ずに見ていた。
 不意に、己に攻撃を仕掛けていた魔物が顳みから血を噴き出しながら横に飛んだ。それが、地に落ちる音が妙にはっきりと聞こえたのを皮切りに、全ての音が戻り、目に見える流れる時間が通常に戻った。恐る恐る、地に倒れた魔物を見ると、それは顳みに風穴を開けていた。
「だ、だ、だ、だいじょ−ぶかい? アムちゃん」
 と、きいて来る本人の方が大丈夫かと思える声で、手に銃を持ったアシュレーが駆け寄って来た。
アムリエルは、それに何とか頷き返した。その様子をみたアシュレーは安心したようにホッと胸を撫で下ろし、その場に腰が抜けたように座り込んだ。
「まだまだ、詰めが甘いわね二人とも」
 その声は、肉の裂ける音と一緒にすぐ近くから聞こえて来た。一拍遅れて、大量の水をぶちまける音がする。それは、何が起こったのかを、見るのと同じくらいはっきりと語っていたので、二人は音がした方を見ることが出来なかった。
「あんたで、最後よ」
 あははっ、と本当に楽しそうに笑うエマの声と共に、また肉を断つ音と、水がぶちまけられる音がする。


「いやぁ、実にお見事」
 最後の一体がエマに斬り捨てられ、どうと地面に倒れ伏したのと同時に、テラスから先程までのことを見ていたらしい村長が、盛大な拍手を送ってきた。その横で、先程のメイドが必死に頭を下げて謝っている。
「これは一体、何の真似だ?」
 吐き捨てるようにルゥクがきく。
「お気を悪くなさらないで下さい。こちらもこの様な雑魚にやられるような輩を雇いたくはないのですよ」
 何しろ、不景気なもので、と村長は悪びれもせずにいう。
「へぇ…」
 だとしたら、これで自分達が死んだらどうするつもりだったのか、とルゥクは皮肉たっぷりにきいた。
「どうするもなにも、あんな奴等に殺されるようでは、山に向かったところで遅かれ早かれ死んでいたのではないですかね。この様な事に携わっている限り貴方方にとって、こんな事は日常茶飯時でしょう」
「まぁ、そうだが」
「それで、私たちはそのテストとやらには合格したのですか?」
 いつもと特に変わらぬ様子で雲美は尋ねた。しかし、先の戦闘で服や顔に返り血を浴びた事で、雰囲気はいつもと違い、少々凄みがある。
「あぁ、それは勿論合格ですよ。さあ、中にお入り下さい。ピンク亀について詳しいことをお話ししましょう」  そういうと、彼は踵を返してアムリエル達の視界から消え去った。
「なんなんだ、あいつはー!」
村長の態度に、アシュレーが遂に怒り出した。
「まぁ、少なくとも」
 ルゥクは、荒れ地を摸したのであろう庭と奇妙な外観の屋敷とを交互に見ながら。
「随分と変わった御仁だというのは間違いないだろう」
 と言った。不機嫌そうに。
「きゃっ」
 不意に発せられた悲鳴が聞こえた方を見遣ると、かのメイドがバルコニーから飛び降りて、着地の際のバランスを崩したのだろうと思われる所だった。踏鞴をふみ、倒れそうになった彼女を、近くに居たクリスタルが咄嗟に支える。
「あっ、有り難うございます」
「いや……」
 彼女は顔を伏せ、暫く、もじもじとなにか言いたそうにしていた。
「……何か?」
「あ、えぇと……。あのっ、本当に申し訳有りませんでしたっ」
「べっ、別に君に怒っている訳じゃないよ」
 彼女の、今にも泣き出しそうな様子に、アシュレーは慌てふためく。
「でも……」
 何事かを言いたそうにしてはいたが、結局はぁ、と溜息を付いただけだった。
「それでは、私に付いて来てください。今度こそ、旦那様の元にお連れしますので」
 それよりも少し待っていただけますかと、雲美はメイドに案内を待って貰えるよう頼み、ルゥクに声を掛けた。
「何?」
「左腕を見せてください」
「え」、と、彼は戸惑った。
「……何の事だ」
「惚けないで下さい」
 と、ルゥクのローブをめくり、二の腕を見ながら言った。
 捲られた所から現れたそれを見て、アムリエルは、あっ、と声をあげた。
 そこには、爪か何かが引っ掛かったのか、浅く刔られ、血が服に染みを作っていた。
「――っ。たいした事ないだろ、この程度じゃ」
 と、顔を真っ赤にして怒ったが、雲美は無視して、自分の荷物から水筒を取り出し傷口を洗おうとする。アムリエルはそれを見て、
「ユン。傷の治療は私がやるわ」
アムリエルは、そう言うと、杖を取り出して呪文を唱える。
「はい、終わり」
「あ、あぁ。……済まないな」
「別に、いいのよ」
――戦闘に、死体にいまだに馴れない自分が出来るのは、これくらいだから。
「さっきは有り難う。ねぇ、ほかに怪我した人は居る?」
 だからこそ、せめて、これ位の役には立ちたかった。
 今日からは頑張ろうと決めたことを、無駄にしないように。



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