夕日が完全に没し、空は紅から藍に刻々と其の色を変えて行く。
 斜陽によって橙に染められた道に長く延びた影は空の変化に伴い、次第に宵闇の中に消えて行った。
 ぽつぽつと、家々の窓に灯火が点り始める。夜と昼では道行く人も変わる。
 先程迄、窓の外の大通り溢れていた大道芸人や観客達はいつの間にか消え去り、破落戸や娼婦、そしてそう云った人々を取り締まる警備兵達が何処からともなく現れた。
どうやら、此の街の治安は余り良くはない様だと、クリスは窓の外を眺め乍らそう思っていた。
「クリス、お前はどう思う」
「…何を」
「今日来た二人の事だ」
 ルゥクは、溜息をつきながら燭台に火を点していった。
「別に、唯、悪い奴等ではない…と思う」
 其の答えにルゥクは再度溜息をついた。点した火が微かに揺れる。
「斯う云っては何だが、僕はあの男とは反りが合わないような気がする」
「…、あの男…」
 クリスの怪訝な顔を見て、ルゥクは少し呆れた。
「アシュレーと云う男だよ。エマ達が連れてきた。覚えていないのか」
「いや…、アシュレーの方か…」
「当たり前だろう」
 他に誰が居るのだという言葉をルゥクは呑み込んだ。
いつも地に足が着いているのがどうか判らない様子で不安に思っては居たが、斯うも呆けた奴だったのかと彼は思った。
「何故…」
「ん」
「何故…、彼と反りが合わないと思う…」
「…何故って、そうだな勘と云うか、あいつの雰囲気がな…」
「…そうやって、先入観で人を判断して接したら、余計に付き合いづらくなる…と思う」
「それはそうだが…」
 彼は返答に詰まった。ふとクリスを見ると、窓ではなく、じっとルゥクの方を見ていた。
(判らない…)
 彼は呆けてはいるが考えなしではない。こんな事を云うのも彼の過去に由来するのだろうが。
(全く、何を考えているのか判らない奴だ…)
 そう考え、ルゥクは本日何度目とも判らない溜息をついた。
「そう云えば…」
「ん」
 微妙に気まずい沈黙を破る様に、クリスが切り出した。然し、ルゥクではなく、その背後に目線を向けながら。
「他の人達は何処に行ったんだ」
「えっ、さ…」
「もう下の食堂に居ますよ」
「はぁ」
 さぁと、云おうとしていた処に、背後から不意に返答があった。ルゥクが驚いて振り向いた其の先には、いつの間に部屋に入ってきたのか、雲美の姿が有った。
「何時の間に…」
「先刻(さっき)から居たぞ…」
「え…」
「何か話し込んでいる様子だったので、邪魔をしたら悪いと思って」
 話し掛けないで居たのですがと、彼女は、少し困った様に笑いながら云った。
「皆待ち草臥れている様子でしたし、早く行きましょう」
「…おい」
 踵を返し、部屋を出ていこうとする彼女を呼び止めた。
「何か」
「アシュレーが付いてくると云った時に、お前は何故反対しなかったんだ。アムリエルの事も、もう認めている様に見えるし」
「…そう見えますか」
「あぁ」
 彼女は、又困った様に少し微笑み、答えた。
「未だ認めている訳ではありませんけれど」
「それなら、どうして」
 ルゥクの問に雲美は少し考えるように俯き、目を伏せた。そして、ゆっくりと顔を上げ、斯う答えた。
「財政的にも苦しい。そして戦力になるかも判らない。けれども、今のまま頭に血が上った状態で結論を出しても、其れが本当に正しい判断なのか、自信が無くて…」
「それは…」
「あの二人には何かが有る様に思えてならない…。どんなに危険な事だとしても」
 賞金稼ぎの依頼の幅は広い。危険など微塵も無い物から、下手をすれば命すら危うい物も有る。
 そして、どちらかといえば危険な依頼の方が多い。仮令生きて依頼を完遂したとしても、其れで引退を余儀なくされる程の怪我を負うなどして生きていくのに支障をきたしたりする者も在る。
「其れでも成し遂げたい目的が有る…。貴方達と同じ様に」
 ルゥクもクリスも、何も応えなかった。何と応えれば良いのか言葉が見つからなかった。
 唯、自分たちの表情が翳ったという事。その事だけは、はっきりと判った。
「御免なさい。嫌なことを思い出させて仕舞って…」
 そう云った彼女の申し訳なさそうに微笑んだ顔にも、暗い影が落ちていた。
蝋燭の炎が揺れる度にそれぞれの影が動く。先刻の言葉が何時までも耳に残り、繰り返される…。

 たとえどんなに、危険だとしても…。其れでも…。

「行きましょう。これ以上待たせては悪いですし…」
 再び、そう促され、今度は部屋を出ていった。
「あー、何だまだ此処にいたんですか」
「アムリエル」
「雲美が呼びに行ったのに、いつまで待っても来ないから何かあったのかと思った」
「御免なさい」
「あぁ、すまない」
「悪かったな」
 三者三様に謝ったのを聴き、アムリエルは踵を返しながら、明るく云った。
「夕食はね、屋外の席でで食べようって話に成ったんだ。月がとても綺麗なんだよ」
「月…」
「七日月かな、今日は」
「確かその位いよね」
「早くー」
 そう云いながら、彼女は階段を駆け降りて行く。
そして、勢い余って転び、階段を転げ落ちた。
「痛そう…」
「大丈夫なのですか」
「云、何とか…」
 腰をさすりながら起きあがる。見るからに痛そうだ。然し…
「さっ、早く行こう」
 彼女は、直ぐに笑顔に戻り外へ通じる扉に向かって駆け出した。



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